密造時代
1707年にスコットランドはイングランドと合併するが、実質的にはイングランド主体の併合であると受けとめるスコットランド人は多かった。スコッチ・ウイスキーの歴史は、ジャコバイト運動などスコットランド人のイングランドへの反抗の歴史と重なっている。1776年のアメリカ独立や1789年のフランス革命など、対外的な政策のために、イングランド政府はスコッチ・ウイスキーに重税をかけるようになる。ハイランドでは、これに抵抗してウイスキーの密造が横行した。密造によって、乾燥のための燃料に、野山に無尽蔵に埋もれているピート(泥炭)を利用し、空き樽に詰めて隠匿することなどの「苦肉の策」が、スコッチ・ウイスキー独特のピート香や熟成効果を得られることにつながった。ハイランドでは、現在でも密造時代をスコットランド人の誇りとして、記念しているところが多い。一方、ロウランドでは、地域的にポットスチル(蒸留釜)の容量を基準として税率が定められたため、蒸留釜を小さくし、蒸留回数を増やして生産性を高める方策がとられた。ロウランドの3回蒸留はこのようにして始められたが、同時に、多くの業者が粗製濫造に走って酒質が低下したことで衰退し、グレーン・ウイスキーに取って代わられる原因となった。

1822年、イギリス王ジョージ4世がスコットランドを訪れ、エディンバラの外港レイスに浮かべたヨットの上で、スコットランド人の文豪ウォルター・スコットと密造ウィスキーを酌み交わし、その味を愛でたことが融和策のきっかけとなり、2年後の1824年に酒税が大幅に引き下げられ、グレンリヴェットが初の政府公認醸造所となったことで、密造時代は終わりを告げる。














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