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GARNET CROW 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 GARNET CROW 出身地 日本 活動期間 1999年 - ジャンル ネオアコ J-POP レーベル TENT HOUSE (1999年) GIZA studio (2000年 - ) メンバー 中村由利 Vo. AZUKI七 Key. 岡本仁志 G. 古井弘人 Key. GARNET CROW(ガーネット クロウ)は、1999年に結成されたGIZA studio所属の日本のバンド。音楽制作会社ビーインググループ所属の音楽クリエイターを中心とした男女4人で構成され、ネオアコを主軸とした楽曲を制作している。結成当初はライブを行わずテレビ番組にも出演しなかったが、2002年以降はライブ活動、テレビ番組への出演も行っている。
目次 [非表示] 1 概要 1.1 来歴 2 メンバー 2.1 担当楽器 2.1.1 岡本仁志の使用楽器 2.1.2 古井弘人の使用楽器 2.1.3 AZUKI七の使用楽器 3 楽曲制作 3.1 作曲・制作曲選定 3.2 編曲・ギター収録 3.3 作詞 3.4 歌唱収録・調整 3.5 収録曲選定・発売 3.6 その他 3.6.1 サポートメンバーおよび関係者 3.6.2 バージョン違いのある楽曲 3.6.3 楽曲制作とタイアップ 4 評価・音楽性 4.1 メンバー自身による評価・音楽性の解説 4.2 外部による評価・音楽性の解説 5 関連メディア 6 作品 6.1 シングル 6.2 アルバム 6.2.1 インディーズアルバム 6.2.2 ベストアルバム 6.2.3 リミックスアルバム 6.2.4 コンピレーション参加アルバム 6.3 DVD 6.4 書籍 6.4.1 関連書籍 6.5 備考 6.5.1 音楽配信の状況 6.5.2 提供曲 7 ライブ・イベント 7.1 OKAMOTO NIGHT名義 7.2 他アーティストと共同開催 8 参考文献・出典 9 外部リンク
[編集] 概要 バンド名の由来となったガーネット(柘榴石)GARNET CROWという名前は、ガーネットという宝石の深い紅色にかけて深みのある音楽を志向する意を「GARNET」の語に込め、それに言葉の響きの良さを求めて「CROW」の語を付加したことに由来する[1]。また日本語訳すると『深紅のカラス』という言葉になり、この言葉の不気味さが心に残る点もあわせて考慮された。
メンバーは中村由利、AZUKI七、岡本仁志、古井弘人の男女4人からなる。リーダーは古井弘人であるが、公式ホームページなどでは、ボーカルの中村由利を筆頭とした順序で紹介されている。結成は1999年、当時まだインディーズ時代の倉木麻衣の、全米デビュー時のデモテープ作成にメンバー4人が携わり[2]、スタジオ制作を通して意気投合したことをその契機とする[3]。中村を除く3人は、既にビーインググループ内で他アーティストへの楽曲提供、サポートを中心とした活動を行っており、新人は中村のみであった。当時中村自身は音楽ディレクターのような表に出ない仕事を志向していたが、周囲からの薦めがあり作曲・ボーカル担当になった[4]。メンバーについては後述のメンバーの節を参照のこと。
楽曲制作においては役割分担が明確にされており、作曲・作詞・編曲といった楽曲制作上の根幹部分を、ほとんどの楽曲においてメンバー自身が行っている。特に中村の曲とAZUKI七の詞は、全楽曲の核として位置付けられている[1]。作品はネオアコを主軸とし、デビュー当初、彼らは自身の音楽性を「21世紀型ネオ・ネオアコ」と称した[5]。1999年のデビューから約2年半、ライブを行わずCD制作を活動の中心としていたが、2002年に初のライブを行う。それ以降ネオアコだけにとどまらない音楽性の広がりをみせ、ライブを経験したことでそれを意識した楽曲制作がなされたり[6]、ラテン音楽やカンツォーネなどの要素を楽曲に取り入れている[7]。詳しくは後述の楽曲制作、評価・音楽性の各節を参照のこと。
2007年現在においてもメンバーの個々の経歴に非公開の部分がある。また、2002年のシングル「夢みたあとで」リリース時までは、2000年のシングル「flying」と2001年のシングル「call my name」の各リリース時以外は全くメディア媒体には姿を見せなかった。この経歴非公開とメディアに出演しない点は、同じビーインググループのアーティストに多く共通する部分である。ただし、同グループ内であっても、ライブを行わない小松未歩や、テレビ番組に出演しなくなったZARDと比べると程度に差がある。ライブは2002年以来三大都市圏を中心に20回以上の公演を行っており、テレビの音楽番組にも2002年以降は出演している。メンバー自身はテレビ出演について、非常に緊張するという旨の発言を残している[4]。詳しくは後述の関連メディアおよびライブ・イベントの各節を参照のこと。
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