第二次世界大戦

イギリスのネヴィル・チェンバレン首相と(1939年)周辺国の数回にわたる併合を経て、1939年9月1日、ポーランド侵攻によって第二次世界大戦を開始する。1940年7月31日には国防軍最高司令官に就任し、作戦面でも戦争の最高指導者となる。

開戦から2年ほどはフランス全土を占領して連合国をヨーロッパ大陸から追い出し、1941年6月22日に始まった独ソ戦においてはソ連の首都・モスクワまであとわずかのところまでに迫る勢いであったものの、形勢が不利になると作戦の細部にまで介入するようになり、参謀本部との関係が険悪になった。また、「水晶の夜」を経て、1941年12月には閣僚の提案によってそれを承認にし、反ナチス思想を持つユダヤ人殺害を指示したとも言われる。日本による真珠湾攻撃直後の1941年12月11日の演説では「我々は戦争に負けるはずがない。我々には三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ。」と日本を賞賛し、アメリカに宣戦を布告した。しかしドイツにとって日本の参戦はあまりに遅きに失した感があった。

その後、開戦から3年目に入った1942年中頃から、東西両戦線およびアフリカ戦線でドイツ軍は完全に劣勢になり、1943年には枢軸国の一員であったイタリアが降伏して連合国の側につくなど苦しい立場におかれる。大戦末期は「狼の巣」と名づけた地下壕にこもって昼夜逆転の生活を送りながら、新兵器の開発によるフリードリヒ大王のような奇跡の大逆転を望む日々を過ごした。

1944年7月20日、ドイツ陸軍のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐による暗殺未遂事件が起こり、数人の側近が死亡・負傷したがヒトラーは奇跡的に無傷だった。事件直後に暗殺計画関係者の追及を行い、処罰を行った人数は、死刑となったヴィルヘルム・フランツ・カナリス国防軍情報部長を始め4,000名に及んだ。国民的英雄であったエルヴィン・ロンメル元帥も関与の疑惑を持たれ、自殺を強要された。多くの将官がこのヒトラー暗殺計画を察知していながら、沈黙していたとされる。実際、ヒトラーが政権を取った時点から、国防軍の一部はクーデターを計画し始めていたようであるが、ミュンヘン会談の成功や、初期の戦勝や後の劣勢でゴタゴタして実行がずれ込んだらしい。
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